佐藤耳no耳

佐藤耳といいます。小さな詩のような物語を不定期で書いてゆきます。また、読めばなんだかすっきり?為になる?「きょうの呪文」もできれば頑張って更新したいな。いずれは小説とかも発表するかも、です。幻想的な文章、少し怪奇成分の混じったものが大好きなんですが、ホンモノのオバケは苦手だよ。写真、イラストはすべてフォトAC様、イラストAC様から。心より感謝しています。また規約に則って使用させていただいています。

ペットボトルのなかの雲

できるだけ遅く歩く人がわたしです。スローモーな軽快さでいると万物もまた、ゆったり流れ、ペットボトルの水でさえ、悠然とした雲となります。
ボトルをかたむけ、水のかわりに雲を呑む。そうすると雲そのものが記憶してた、わたしたちと、この星の歴史が自然とよみがえってくるのです。
酸素と水素の元素から雲はうまれる。元素が古くならないように雲だっていつも新しい。だって雲は、終わることのない惑星の旅行者なのですから。


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ペットボトルの雲は、軽やかに多彩なことを覚えてる。すなわち水。それは地球より前にあり、この星にきてからも老いることなく、循環する精霊。
雨だったときはもちろん、硬骨魚の体だったり、翼竜の卵だったこともあり、モササウルスのなかに流れていた体液だったりしたのかもしれません。
かつて大昔の生きものだったり、古代のおサカナや空を飛んでいた生きものたちがいま、わたしのなかを雲となって、ゆうらり、流れてゆくのです。



雲をスクリーンにして、惑星のお散歩をしてきたわたしにむかって、ミダス王の指ならぬ、三宅かなこは、なんだかとてもいらいらするみたい。
彼女が雲にふれるとみな、重たげな水に、ちゃぷ、と戻ってしまいます。ですから思い出は、青くて暗い水底に沈んで見えなくなってしまうのです。
三宅かなこはリアルに生きる人だから、水ひとすじの重さと相性がいいのかも。それはそれでいいと、思ったり。海も、じつは雲だから。



でも、わたしの感覚はやっぱり水ではなく、雲として生きてゆきたい。傘がなければ、雨のひとつぶだって舌にのせ、雲として味わいたい。
雲は光にふれ、虹となり、青空にむかって進化する。水ひとすじではなく、ペットボトルの雲や、大気プリズム、わたしにメタモルフォーゼする。
ほら、あそこの空の一角をどうかご覧ください。さっきまでのわたしが、いま、雲となって空をふんわり、永遠の旅行者となり、流れてゆくのです。

わたしの庭に舞い降りる小鳥

ノッポにして飄々、スタイリッシュじゃないけど、黒のタキシードをさりげなくまとった少年が庭にやってきました。
庭師、のつもりでいるのかな? スコップまで手にした少年。よくよく見ると、彼は隣のクラスの井上くんでした。
少年はいいます。この男の子と、あなたとは将来、結ばれる運命にあります。昼間の井上くんはその事実、知らないけど。


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わたしの心には、庭があります。香草や花、樹の葉っぱが風にゆれ、ゆたかにみのるわたしの庭。庭を育てるとは、魂をはぐくむのとおなじこと。
そして、庭に人はいないはずで、はいるのを許されているのは小鳥だけなのです。鳥が飛んでこなければ、たねも庭には落ちない、花も咲かない。
隠された庭でありながら、外とつながっていられるのは小鳥がたねを運んでくれるから。でも、なぜ? どうして井上くんがここにいるの?



アリストテレスがどんな人なのか知りたければ、彼の丹精した庭に咲く花を一輪、もってかえればよいのです。そう井上くんはいいました。
たとえ秘密をみせあわなくても、おたがいの庭に咲く花の色、においを愉しめるなら、心がかよいあい、ほほえむことだってできるのです。
井上くんは鳥となり、わたしの手から羽搏いてゆきました。鳥は聖霊の息吹をまとった天使のようなもの。天使だけが、たねと手紙を運ぶのです。



井上くんは鳥となって福音を告げ知らせる手紙をくれたけど、ふだんはそんなことを覚えていない。それが秘密の庭の掟です。
わたしだって、朝めざめたなら、庭にやってきた井上くんのこと、すっかり忘れてしまうでしょう。なら、わたし、どうしたらいい?
気がついたら、朝のひかりにむかって翼をひろげたわたしがいました。恋の予感がそうさせた。彼の庭に舞い降りるため、小鳥になったの。

アサガオは死に、蝶となって飛んでゆくのです

アサガオの開花を撮影した、すてきな自主映画をみたことがあります。朝、蕾から花がひろがり、夜にむかってしぼむ様子までを撮った映画です。
早回しで撮ったフィルムではありますが、花に小さな娘が坐っていたり、コロボックルみたいな子どもたちが歌をうたっているのがよくみえます。
彼らはみんな、光の子ども。光を集めれば映画になり、フィルムを集めれば光になって。そしてその一瞬にアサガオとなり、生まれては死ぬのです。


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そのような映画を撮った市橋くんは、気がついたら幽霊になっていました。彼自身は幽霊なんですが、フィルムはどういうわけか実在しています。
幽霊ですから、市橋くん自身が映画みたいなもの。その彼が鞄にフィルムをつめ、旅をします。旅と幽霊はどことなく似ている気がしませんか?
あちこちの公園に出没しては、樹木のあいだにスクリーンを張り、夜を待って上映します。青い宵闇でみるアサガオの映画は、ちょっぴり不思議。



もしかしたら映画のテーマは、生まれ変わりなのかもしれません。だってアサガオの映画はそのことを実にしっかり、描いていたんです。
一見、花は萎れて死んだのかと思うけど、違います。花はしぼむと色だけが独立して浮き上がり、蝶となって再生し、アサガオから飛び立つのです。
花の色彩はアサガオのエッセンス。コロボックルみたいな子どもたちは花のエッセンスを集めた蝶となって、新しいアサガオをゆめみるのです。



わたしにはわかります。市橋くんは風来坊の愉しそうな幽霊だけど、かつては花であったことを。そしてみんなも花であることを知ってもらいたい。
だから彼、アサガオの映画をつくりました。夜のしじまは、眠りと、蕾、そしてサナギの時間。めざめの朝は、愉快な旅が待っています。
きょうもまた、花から生まれ、蝶となった幽霊の市橋くんは旅にでます。映画フィルムを鞄に入れ、ひらり、蝶の姿となって飛んでゆくのです。

歩道橋の蜃気楼。そしてトマトとオレンジ。

トマトとオレンジ、どっちが好き?と訊かれても、わからないし、わたしには選ぶことはできません。
トマトっぽい子と、オレンジっぽい子がいて、ふたりとは親友なんだけど、いっつもあの子たち、喧嘩をするの。
でもオレンジの子は死んで、トマトの子は長いながい旅に出ました。もうふたりには会えないはず、と思っていたのに。


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よく晴れた、風の強い日でした。きつい風のなかに、まばゆいばかりの光が、ゆれ、見上げる空に蜃気楼が浮かんでいました。
足のない幽霊みたいに、橋脚のない歩道橋が空中を浮遊し、そこになぜかトマトとオレンジ、ふたりの娘がいるのです。
あの子たち、すっかり仲良しになって、青空の遠くの歩道橋から手をふっている。わたしも手をふりながら、涙がこぼれます。



トマトはフルーツになれないし、オレンジは野菜になれない。たしかそんなことが喧嘩の原因で、とうとうふたりは絶交しました。
でもね、結局、わたしだけ仲間外れ。だってわたしはフルーツであり、野菜でもあったから。喧嘩しなかったけど、ふたりはわたしを憎んでた。
待って!と、歩道橋を追いかけるわたし。置いてゆかないで、と寂しさのあまり、空をさまよう蜃気楼にむかって走りだすわたし。



走っても走っても歩道橋には追いつけない。光をはらんだ風に気持ちよさそうに眼をほそめ、さよなら、と手をふるふたり。
ふたりにないものを所有し、天国にいることが必ずしも幸せであるとはかぎらない。歩道橋の蜃気楼は風に吹かれ、消えました。
懐かしくも切ない気持ちに傷つきながら、土に縛られ、ここに生きるわたし。歩道橋のない空で、それでいいのかも、と囀る小鳥たち。

星の娘たち

ペパーミントの息でもって冷たい月を吐いたり、吸ったりしている女の子がわたしです。
心が氷になった晩のこと。星の豪雨が降りました。やがて星の雨がやんだ朝、うるわしい緑の大気であふれてる。
午前四時のビルの屋上。初夏の爽やかな自殺者は、きれいな体で、きれいな空気に抱かれ、流星みたいに飛び降ります。


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落ちながら、短かった一生分の記憶が走馬灯となって駆けめぐる。そうして思い出すのは、たとえば雨の降る冬の朝。
曇ったショップのガラスごしに街をみながらひとり、ドーナツを食べてるわたしとか、かじかむ指に息を吹きかけるわたしとか。
死のまぎわ、そんな些細なことが大切だなんて知りもしなくて、いとおしくて、でももう取りかえしがつかなくて。



地上に激突するぎりぎりの瞬間、コンマゼロ秒の単位で時間は停止します。あれ? きのう落ちてきた星の子がやってくるではありませんか?
彼女はいきなり怒りだします。きみが落ちたら、せっかく落下してきたわたしたち、また宇宙へと上がらなきゃなんない。
上に上がれば下に行く。減りもしなければ増えもしない。だって素敵なバランスで保たれてるのが宇宙なんだもん。



ようするに星の子は、わたしが飛び降りたら、バランスを保つために、自分らは上昇しなきゃならないと、言うのです。
だったらこの沈んだ気分も、いつか上がるんだね、とわたし。そうとくれば、死ぬの、やめよっか。もう一度、生きてみよっか。
星の娘が落ちた地球を踏みしめながら、氷もいつしか溶けだして、動きだした時間の森を、わたしは颯爽と歩きだすのです。

空のこと忘れないよ、わたし

鳥の羽根を持ってるわたしが飛べなくて、持ってないキミが空を飛べるなんて、どうしてだろうね?と思っちゃう。
それにしてもおかしな話だよね。水中で羽搏くペンギンみたいに、キミは空にいるときだけは元気いっぱい。
おーい、と手をふるわたしを無視して、遠くに飛んでいっちゃう。わたしは置いてきぼり。ひとりぼっちで、しくしく泣くのです。


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わたしはとっても不満だったけど、なにかを手に入れたなら、結局なにかを手放さなきゃならない。だからわたしはいま、ここにいます。
鳥の羽根は、魔法の道具。空を飛べない代償に、魔法の羽根はお願すれば、なんだってかなえてくれる。だけど、きみはここにいないのです。
わたしが正直、そうしたかったから、死ぬほどの寂しさに苦しめられたって我慢します。だってそれが、守らなきゃいけないルールだから。



みんなは我慢なんかしない。空を飛ぶのを忘却できたなら、もう寂しさに苦しめられることなんてないのだから。でも、わたし、忘れたくない。
いつまでも空にいた、懐かしの日々をを覚えていたいし、もし忘れたなら、キミは死んでしまう。お空の天使も墜落してしまうでしょう。
ですので、わたしはここでは少し変わり者の人生を歩いてゆくのです。夢のような桃のジャムを、空想のスプーンですくって、食べるのです。



でも、ときおり、気になるのか、オリーブの木の影で深く眠っているときにだけ、キミはやってきて、ほんの少しのあいだ、寄り添ってくれます。
夢なんかみない、ほんとうに深い海のようなお昼寝にかぎられるのだけど、キミがわたしを慰めてくれるのを、わたし、知っています。
いつか空に還るその日まで、わたしが笑って暮らせるのも、いくら寂しくても空のことを忘れないから。いつの日にか、きっと、ね?

雲の呪術師

なんでも心配してくるあの子は、雲の呪術師。雲をガラスの壜に閉じこめては、観察するのが日課です。
彼女は言ってた。ずっと雲をみていると、人間からみた雲じゃなく、雲からみた人間がみえてくるんだって。
呪術師のあの子自身が、いつしか壜のなかにはいりこみ、ミニチュアの雲となってガラスのアオゾラを流れてる。


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だからいっつもわたしの感情を、壜のなかにいながらにして眺め、えらそうに批評してくる。すっごく、腹が立つの。
雲となった彼女には、人の感情が雲にみえて仕方ない。他人の感情が読めちゃって、口出ししたくてたまんない。
だけど、彼女ったら、わたしが怒っていることに気がつかないでいるのです。笑っちゃう、まったく。



というわけで、とっても意地悪なわたし。雲となった彼女の入った壜にじょうろで水をそそぎこみます。
それからどうしたと思う? あのね、わたしは服を脱ぎ、裸になって、きれいな黄色の小魚となります。
ぴちゃん。小さな魚は洪水状態の壜に飛びこんで、思いっ切り呪術師のワールドをかき混ぜ混ぜにしちゃうのでした。



清らかな雲もいいけど、わたしは雲なんかじゃなく、魚のほうがいい。あなたの思惑を木っ端みじんにしてごめんね。
だけど、壜のアオゾラのふちにまで水があふれ、雲と魚が一緒に泳いでいる光景なんて素敵だと思わない?
お節介な神さま気分はもうやめて、さァ、むくれてないで泳ぎましょう。傷ついている暇なんてないんだからね。