佐藤耳no耳

佐藤耳といいます。小さな詩のような物語を不定期で書いてゆきます。また、読めばなんだかすっきり?為になる?「きょうの呪文」もできれば頑張って更新したいな。いずれは小説とかも発表するかも、です。幻想的な文章、少し怪奇成分の混じったものが大好きなんですが、ホンモノのオバケは苦手だよ。写真、イラストはすべてフォトAC様、イラストAC様から。心より感謝しています。また規約に則って使用させていただいています。

許されているわたしの海

生きるのが辛く、苦しみが泉となってわきだす日々を、いまのわたしは歩いています。
でも、そんなわたしにも悩みのたねが晴れわたる真っ青なときがあったのです。
それはまだ、わたしがわたしではなく、海だった頃のおはなし。
そうです、わたしが海だった頃、なごやかでやさしい風が吹いていました。

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海だった頃、わたしはわたしではありませんでしたが、たしかにわたしはいました。
悩みのない海に魚が泳ぎ、椰子の実が海流にのって、気ままに流されてゆくのです。
クジラのお腹に大聖堂があるのでしょうか? オルガンが鳴りひびき、クジラの吹き上げる潮に虹がかかります。
そしてその虹のグラデーションは、聖なるうたの音階をしるした楽譜となりました。
許しながら海は、海でありつづけることを許されていたのです。

だけれども人魚がさよならの挨拶をいいにきたとき、海は海であることをやめました。
光がひらけ、海はやぶれ、洪水とともにお母さんの体から流れだすわたし。
あれほどまでに大きな海はなんと小さな水たまりだったことでしょう。
海が終わったことを知ったから、ついにわたしはわたしとなったのです。

いまは悩みの多いわたしの生活ですが、ほのかに思い出すことがあります。
こんなわたしのなかにも、すべてが許された、ブルーに輝く海があることを。
いつ、わたしは海であったことを思い出すのか、その日のおとずれを楽しみに待つのです。
コウノトリとともにあなたがやってくるまで、虹の聖なるうたをくちずさみながら。