ペットボトルのなかの雲
できるだけ遅く歩く人がわたしです。スローモーな軽快さでいると万物もまた、ゆったり流れ、ペットボトルの水でさえ、悠然とした雲となります。
ボトルをかたむけ、水のかわりに雲を呑む。そうすると雲そのものが記憶してた、わたしたちと、この星の歴史が自然とよみがえってくるのです。
酸素と水素の元素から雲はうまれる。元素が古くならないように雲だっていつも新しい。だって雲は、終わることのない惑星の旅行者なのですから。
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ペットボトルの雲は、軽やかに多彩なことを覚えてる。すなわち水。それは地球より前にあり、この星にきてからも老いることなく、循環する精霊。
雨だったときはもちろん、硬骨魚の体だったり、翼竜の卵だったこともあり、モササウルスのなかに流れていた体液だったりしたのかもしれません。
かつて大昔の生きものだったり、古代のおサカナや空を飛んでいた生きものたちがいま、わたしのなかを雲となって、ゆうらり、流れてゆくのです。
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雲をスクリーンにして、惑星のお散歩をしてきたわたしにむかって、ミダス王の指ならぬ、三宅かなこは、なんだかとてもいらいらするみたい。
彼女が雲にふれるとみな、重たげな水に、ちゃぷ、と戻ってしまいます。ですから思い出は、青くて暗い水底に沈んで見えなくなってしまうのです。
三宅かなこはリアルに生きる人だから、水ひとすじの重さと相性がいいのかも。それはそれでいいと、思ったり。海も、じつは雲だから。
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でも、わたしの感覚はやっぱり水ではなく、雲として生きてゆきたい。傘がなければ、雨のひとつぶだって舌にのせ、雲として味わいたい。
雲は光にふれ、虹となり、青空にむかって進化する。水ひとすじではなく、ペットボトルの雲や、大気プリズム、わたしにメタモルフォーゼする。
ほら、あそこの空の一角をどうかご覧ください。さっきまでのわたしが、いま、雲となって空をふんわり、永遠の旅行者となり、流れてゆくのです。