アサガオは死に、蝶となって飛んでゆくのです
アサガオの開花を撮影した、すてきな自主映画をみたことがあります。朝、蕾から花がひろがり、夜にむかってしぼむ様子までを撮った映画です。
早回しで撮ったフィルムではありますが、花に小さな娘が坐っていたり、コロボックルみたいな子どもたちが歌をうたっているのがよくみえます。
彼らはみんな、光の子ども。光を集めれば映画になり、フィルムを集めれば光になって。そしてその一瞬にアサガオとなり、生まれては死ぬのです。
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そのような映画を撮った市橋くんは、気がついたら幽霊になっていました。彼自身は幽霊なんですが、フィルムはどういうわけか実在しています。
幽霊ですから、市橋くん自身が映画みたいなもの。その彼が鞄にフィルムをつめ、旅をします。旅と幽霊はどことなく似ている気がしませんか?
あちこちの公園に出没しては、樹木のあいだにスクリーンを張り、夜を待って上映します。青い宵闇でみるアサガオの映画は、ちょっぴり不思議。
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もしかしたら映画のテーマは、生まれ変わりなのかもしれません。だってアサガオの映画はそのことを実にしっかり、描いていたんです。
一見、花は萎れて死んだのかと思うけど、違います。花はしぼむと色だけが独立して浮き上がり、蝶となって再生し、アサガオから飛び立つのです。
花の色彩はアサガオのエッセンス。コロボックルみたいな子どもたちは花のエッセンスを集めた蝶となって、新しいアサガオをゆめみるのです。
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わたしにはわかります。市橋くんは風来坊の愉しそうな幽霊だけど、かつては花であったことを。そしてみんなも花であることを知ってもらいたい。
だから彼、アサガオの映画をつくりました。夜のしじまは、眠りと、蕾、そしてサナギの時間。めざめの朝は、愉快な旅が待っています。
きょうもまた、花から生まれ、蝶となった幽霊の市橋くんは旅にでます。映画フィルムを鞄に入れ、ひらり、蝶の姿となって飛んでゆくのです。